「勇気凛々」りんこのブログ

長年勤めた外資系の会社をいきなり退職して会社員脱出!日々思ったことを書いています。

忘れ物チャンピオン

今現在のホットな話題ではないが、「体罰」について問題になると、思い出すことがある。

私の子どもの頃は、先生がしつけのために子どもをたたいても、問題にはならなかった。当時は大卒の親が少ない中、学校の先生は父兄に尊敬されており、子どもに「先生の言うことを聞くように」という教育がなされていたと思う。それだからこそ、小学校低学年でも40数人という大人数を先生一人で受け持つ、ということが出来たのかもしれない。

私の通っていた公立の小学校の区域には、所得制限のある公営住宅があり、そこには生活保護受給家庭も多かった。クラスにもいわゆる貧しい家庭の子どもが何人かいて、靴下をはかず、毎年買い替えないと合わない上履きを買えずに、くつの後ろを踏んでいた。毎日同じ服(穴がそのままになったりボタンがとれたままになった)を着て、近くにいくと、洗っていないために臭いにおいがした。

連絡帳に、連絡事項を書き込む。それを親に見せて、そろばんやら裁縫箱やら絵具やらを準備して持っていく。翌日に絵具がいるとなると、私の母は絵具の中身をチェックして、私は母と一緒に、なくなりがちな白を買いにいったり、身体測定の時には新しい下着をそろえたりしていた。

「忘れ物をする」ということについて、当時、先生たちはそれぞれ、ユニークな罰を考えていた。

私の先生は、水ではぜったいにとれない油性の太い赤のマジック(?マークのついたもの、ご存じだろうか)で、1回目は手のつめ10か所に×を付ける→2回目は手のひらに大きく×、3回目はおでこ(!)、とつけていった。私は3回目に到達した際に、黄色いぼうしを深くかぶって帰り、母に怒られながらもクリームでとってもらったことを覚えている。確かに、必要なものをそろえて持っていくということは、習うものとしては心がけがなっていないし、社会性を身に着ける上で重要なことである。母がそろえてくれていたにもかかわらず、私は持っていかず、本当に恥ずかしい思いをしたので、それ以降は気を付けるようになった。

クラスにM君という子がいた。母子家庭で、前述のように、身だしなみが行き届いていなかった。忘れ物も多く、さっさと3回を突破して、考えあぐねた先生は、おでこ以外に両頬にもマジックで×ではなく、ぐるぐる円を書いてぬりつぶした。M君が笑ったので、私たちも笑った。M君は、黄色い帽子で目より下を隠して帰って行った。

隣のクラスの先生は、見かけはとても優しそうな女性の先生だったが、厳しくて有名な先生だった。当時、「厳しい先生」というのは、概して親の評判が良かった。親がゆきとどかないところのしつけをしてくれる、ということだろうか。そうじの時間に、廊下を掃除していたら、隣のクラスに、大きな画用紙をシャツの首のうしろに洗濯ばさみでとめられた男の子がいる。その子がバケツの中で雑巾を洗うために私に後ろを向いてしゃがんだら、その画用紙が見えた。「忘れ物チャンピオン」。

忘れ物の多い子は、その紙を背中にしょって一日過ごさなければならないのが、その先生の罰だったのだ。

私は自分の担任の先生が大好きだった。まだ20代半ばだった。とてもいい先生だったと思う。

ただ、今、私が思うのは、「すごく忘れ物の多い子は、本当にその子がだらしないのが原因なのか?」ということだ。小学校低学年では、まだまだ自分のことができない。ましてや、親が貧しくて苦しんでいる場合、親は家計で精一杯で、子どもの面倒を良く見てやれないのではないか。忘れ物は、忘れたのではなく、そもそも親が準備していないのが原因だったのではないか。

M君は笑っていたけれど、本当はどうだったんだろう?

背中に画用紙をしょわされた子は、どう思っていたんだろう?

そして、私が先生だったら、どうするだろう?

顔をマジックで赤くされた子と、「忘れ物チャンピオン」を背負わされた子。

その光景は、私を今でも傷つけて、「時代が違うんだから。」と言い聞かせても、心のどこかにささった小さなトゲになっていて、癒されることがない。