「勇気凛々」りんこのブログ

長年勤めた外資系の会社をいきなり退職して会社員脱出!日々思ったことを書いています。

ペットが欲しい!

Facebookでpostしたものを見ると、その人の性格がわかる、と言われている。

私のを見ると~①可愛い動物のビデオ(どこかから見つけたもの)、②家の植物、③美味しい食べ物。

「動植物が好き」というのは、子供の頃から一貫していて、思い出すのは夏には学校から帰ると母から砂糖を少しもらい、玄関へのアプローチにまいて、ありんこが全部巣に運び込むまで眺めていたり、トカゲやカナブンを捕まえたりしていた。父が転勤族だったため、犬猫を飼えなかったのをいつも恨めしく思っており、大人になったら絶対に飼うんだと思っていた。

ペット可の今のマンションに越してから、犬猫の本を買って読み、犬は散歩がいるから、手のかからない猫にしようと、猫の里親になるために里親会に見学に行ったりもした。一人暮らしの私だと、(保護された方にもよるが)断られたり、保証人(私が飼えなくなった場合の)を求められたり。保証人を姉にお願いしたら、「こどもの頃からずっと欲しがってたからね、いいよ。」と言ってくれたが、「でも、りんちゃんより先に死んじゃうよ。いいの?」と言われて我にかえった。

「いつかこの可愛い猫が、私より先に逝ってしまう」ことを考えると、こわくて一歩を踏み出せなくなってしまったのである。ヒトの3歳くらいの知能を持つという犬猫だと、まさに家族と同じ感覚になってしまう。私が先に死んではいけないが、残された場合のダメージに耐えられるだろうか?

以前に、FBに犬3匹の写真を載せていた、会社の同僚のNさんに、お話を聞いたことがある。Nさんは長身かつがっちりした体格で、お仕事をがしがしされているかたである。1年前に犬一匹が逝き、ペットロスになってしまい、大変な思いをしたそうだ。失礼ながら、どちらかというと(男性にありがちな)鈍感で、その彼がペットロスになったと聞いて私はかなり驚いた。しかもNさんは、すでに成人されたお子さんもふたりいて、「ペット」がこどもと同じ!というわけでもなかったそうなのだ。

最近はyoutubeで可愛い猫がよくアップされていて、楽しめる。そしてほしくなる。でも、死んだ時のことを考えて、立ち止まる。ここ数年、私はこれを繰り返している。

昨日、近所に出来た猫カフェもどき(”猫がいるカフェ”であり、猫がわんさかいて猫と遊ぶのが目的のものとは異なる)に隣人たちと行ったのであるが、こどもの時以来、久しぶりに猫を抱いたら、ねこはごろごろいってよろこんでいて、ヒトである私もニコニコしてよろこんだのであった。

わたしはこの程度でがまんするのがいいのかな、と今また思っている。人生でほしいものすべてが手に入らなくても、しかたがないではないか。というか、もっと優先順位をあげるものもあるでしょう。あいては生き物で、飼い主を選べないし、ヒトの子どもと違い、成人して出ていくこともできずに、ヒトと一蓮托生となるのだから、さらに責任は重い。そう言って自分をなぐさめている。