「勇気凛々」りんこのブログ

長年勤めた外資系の会社をいきなり退職して会社員脱出!日々思ったことを書いています。

戦争体験 3

私の中学の担任のA先生は、数学の先生で、

すでに60歳を超えているのに、

まだ教壇に立っておられた。

 

「A先生、戦争に行ってるんだって。」

それは、年をとっている、と同義だった。

当時、母から、

「子どもが好きだから、定年をのばしているのよ。」

と聞いていた。

 

すでに私が大学生の頃に

病気で亡くなられたが、

優しくて、とてもいい先生だった。

 

数学の先生なのにかなりの達筆で、

卒業証書の名前は

毎年その先生が書いていた。

 

A先生は時々戦争の話をした。

 

先生は、近眼だったので、

二等兵として招集された。

沢山の戦友が亡くなったが、

自分は生きて帰ってこれた。

それは、当時、将校といっても

皆、字がうまく書けるわけではない。

将校が、字のうまい自分を

そばに置いておきたがったから。

 

「芸は身を助ける、というけど、

本当にそうだな、と思ったよ。」と。

 

数年前に、当時の同僚のB先生と

お話した時のこと。

「A先生は、シベリアに抑留されていたでしょ、

だから、年金をもらうには、勤務年数が足りなくて

60歳超えても働いていたのよ。」

 

知らなかった。

ずっと、子どもが好きだから、

定年をのばしているのだと思っていた。

 

そして何より、胸にささったのは、

「A先生は、私たちに戦争の話をしたのに、

シベリア抑留の話を一度もしなかった。」

ということである。

 

B先生にそう言うと、

「きっと、シベリア抑留は、本当に辛い経験で、

話したくなかったのよ。」

 

今でいう、トラウマに近いものなのではないか。

確かに、祖父も、母も、父も、戦争の話はなかなか

してくれなかった。

それは、本当に辛い辛い経験だから。

あとからは修復できないほどの経験だからだ。

 

社畜」という言葉があるが、

当時は「国畜」だった。

正しい戦況は知らされず。

兵站ないままに、どんどん兵隊を送り込み、フィリピンに

いたっては、戦死の死因は、

戦って攻撃されて死んだのではなく、

ほとんどが餓死である。

 

 

戦争体験 1 - 「勇気凛々」りんこのブログ

戦争体験 2 - 「勇気凛々」りんこのブログ

 

 

 戦争体験者が、戦争について話したがらない理由が

わかる気がする、澤地久枝氏の本

Amazon.co.jp: 14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還 (集英社新書): 澤地 久枝: 本

gendai.ismedia.jp