「勇気凛々」りんこのブログ

長年勤めた外資系の会社をいきなり退職して会社員脱出!日々思ったことを書いています。

世界に笑われないよう?

五輪のエンブレム問題。

こういったことがあると、

「世界に笑われる」

「世界に恥ずかしい」

といった論調が目につく。

 

「外にだして恥ずかしくない」

といった表現が日本語にあるように、

昔、ベネディクトはその「菊と刀」で

日本を「恥の文化

欧米を「罪の文化

と定義した。

 

日本という四方を海に囲まれた島国で

ほぼ単一民族で生活していると、

「こうあるべき・これが普通」という

共通認識の範囲が大きい。

そこから、そのとおりにできないと

「恥ずかしい」ということになる。

 

ということで、

「恥ずかしくないように」

「笑われないように」

といった論調はすでに日本国内での

世界から見たらごく一部の小さな考え方なので

「世界に○○○」という言い方はなじまない。

 

「世界に」という場合、

世界には200か国近く国があり、

「世界に」対して「恥ずかしくない」対応は

不可能である。

おそらく、欧米の先進国のみを対象としている

(最近はそれプラス中国も、であろうか)と絞っても

それを書いている人は、

では欧米ではこうすべきなので、

今回はこうすべき、

というところまで言及している人は少ない。

 

正直、世界にそれほど日本のオリンピックだけに

興味を持つ人が沢山いるとも思えない。

他にニュースがないと、メディアは騒ぎ立てるが、

ほとんどの人は日常が大変で、

もっと自分の興味のあることに注意を向けているに

違いない。

自意識過剰なのだ。

 

おそらく、日本人はもっとも「人目」を気にする

民族の一つだと思われる。

 

自分が海外赴任した時、

現地の言葉が初級レベルだったため

懇親会でぽつんと一人になるのが

当初辛かった。

 

なぜ辛いかを考えたところ、

一番は、

「あのアジア人が言葉が出来ないから

 人の輪に入れない」と見られている

感じがしたのだ。

 

しかしそのうち、

「他の人はそれほど私のことなんか

気にかけていない」

ということに気付いた。

そして、そのうち

ほとんど気にならなくなっていった。

 

世界(欧米の先進国と中国)を考える時、

過剰に「こう見られている」と気にせず

(相手がどう見ているかは正直、誰にもわからない。)

「私はこうです」という、「あり方」を

「見せる」ことが重要だと思う。

「ありかたを見せる」ことは

自分でコントロールできるが、

「どう見られるか」はできないのだから。

 

ニュースで「中国が」「ロシアが」と

やっている時も、

「はたして、中国とロシアはそれほど

日本を重要視してるんだろうか?」

と疑ってみることもいいと思う。

中国もロシアも大国で、

日本以外の国にもっと注意を払っていると

感じるからだ。

どうも、日本も日本人も

自意識が強すぎ。

 

ひとつ、思い出すことがある。

もうずいぶんと昔になるが、

皇太子妃雅子様が決まった時の

英国のニュースで

"How Clever!"

と見出しが出ていた。

これは、

ダイアナ妃に対するあてつけであるが

「英国の皇太子妃が恥ずかしい!」ではなかった。

 

もちろん、欧米にも「恥ずかしい!」という

感情はある。

ただ、程度が違う、ということだ。

彼らは、外国に行って、困ったら

「どうしたらいいかを尋ねる。」

あるいは、(ヘンな欧米人にありがち)

「自分はこうなんだ!日本人、変!」と

郷に入っても郷に従わずに

押し通して嫌われる。

 

日本人も、少しは見習いたいところ。