「勇気凛々」りんこのブログ

長年勤めた外資系の会社をいきなり退職して会社員脱出!日々思ったことを書いています。

なぜ、年功序列はだめなのか

年功序列

これは、当時はそれなりに理にかなっていた。

それは、「知っている」ということの価値。

 

そもそもどこに情報があるのかさえ

わからなかった時代があった。

かつては、本や図書館で調べて、

あるいは、自分で何度も失敗した経験による知識が

とても価値があったのだ。

また、年々増えていく、知り合いの数。

この、コネクションも価値をもたらした。

知識も人も、それを得るには当時、時間がかかった。

 

ほとんどの人たちの人生が

それほど違わなかった当時は、

年を経るほど、知識が増え、

知り合いが増え、それは価値の上昇を

意味したのだ。

 

インターネットの登場で、突如、

簡単に検索して答えを

見つけることが可能になった。

今はむしろ、検索して探すのは

若者のほうがうまいだろう。

 

あるいは、SNSで聞いてみたり、

ネットで多数の人々に聞く、

ということも可能だ。

 

人とのつながりも、

何百人という人とのつながりを

SNSでずっと無料で簡単にメンテできる

時代になった。

名刺を持って何度も訪問したり、

毎年、大量の年賀状を出したり、

ということが不要になったのだ。

 

話は少しはずれるが、

「お年寄りを大切に」

という考えにも、同じベースがあると思う。

つまり、以前は、お年寄りのほうが、

生きてきた年数が多い分、知恵が多かったから

ほぼすべてのことについて、

とても「役に立った」のだ。

(今でも、「人生の根幹の問題」については

 やはり、お年寄りの知恵が役に立つ。

 これは、日々新しく変化しているマーケットと違い

 変化がかなりゆるやかだからだ。)

 

翻って、現代。

「個」が提唱されるようになり、

人生は十色になった。

若い人でも、起業したりで、

中高年よりも仕事の経験をつむことが

出来るようになった。

年齢からはその人の経験を

はかることが出来なくなったのだ。

 

これは、自分が若いから、良かった~、

ということではない。

今日明日の生き方そのものを

自分でデザインしていかないと

もう、同い年の友人とてもう

横並びではない。

 

年功序列がなくなったら

若者は即ハッピーになれるのか。

 

「自分で自分の人生をデザインしたい人」には

生きやすくなる一方、

横並びが安心、という人には

厳しい世の中になるだろう。